2014年5月24日土曜日

「三戸サツヱさんを偲ぶ会」 に寄せられた記事


「ユリとサギ草」


退職後、私が携わった市民活動に写真誌「こうしま」の編集がある。

宮崎県串間市は私が三つ目に勤務した福島高校のある街だが

その最南端の都井岬から10キロほど北の海に幸島という

周囲3.5キロほどの小島が浮かんでいる。


この島に、芋や麦を潮水で洗って食べるなどの“文化的”行動が

話題になった野生のサルが100匹ほど暮らしている。

観光客が食べ物を与えないよう早くから取り組まれていて

サルたちは基本的には島にある木の実だけで生活することになっている

から数の増減はほとんどない。


対岸の石波海岸樹林はタチバナやハカマカズラなどが自生する亜熱帯林で

国の天然記念物である。

サルたちの住む幸島もそうだから国の天然記念物が二つ向き合う形

になっている。


この一角に住む三戸サツヱさんはずっと小・中学校の教師をするかたわら

京都大学霊長類研究所・幸島野外観察施設の仕事を手伝ってきた。

1915年(大正4)生まれで2005年現在で91歳だが

この一帯を子供やその家族などが楽しく遊べる場にしたいのが念願である。


三戸さんが写真誌「こうしま」を発刊しようと思い立ったのは

それを現実するための一環としてだった

県内在住の写真家、生物学者、小中高の退職教師などが協力

1992年(平成4)春から季刊誌として宮崎市の鉱脈社から発刊した。

私は出身が県南地区ということもあって現地との連絡事務に当たるかたわら

コラム欄を担当した。

宮崎市在住の写真家芥川仁さんその他の車に同乗させてもらって

何回も現地にかよった。

写真誌「こうしま」は結果的には資金難のため足掛け3年9号で廃刊に

なったが、現地に足を運ぶなかで私がたいへん嬉しかったのは

三戸さん宅の軒下に自生するたくさんのユリの香りにひかれるからだった。



半世紀前、日南の療養所に入院してまもなく 

枕元に活けてくれた白ユリが死に傾きかけた気持ちをやわらげてくれたし、

生きる気持ちを一層揺すってくれた。

あのころのことを懐かしく思い起こさせてくれるのだ。


私は「こうしま」という雑誌の発行事務に携わる事で

生きてユリの野の香りにひたりたかったあの頃の夢を

果たす事ができたのだった。

---------------荒武義夫 「自分史」より---------------




ユリの花は今もなお咲き続けています

香りが風になり 想いをはこぶ

自然は物言わぬ教師である

目の前に広がる時を大切に 今日も感謝









たぎり荘の市木温泉が、神温泉だった! | 宮崎てげてげ通信 |



GWも過ぎ植物や虫たちが葉羽を広げてのびのびと元気に活動を始める

心地よい季節がまた始まりました。
種をまいた畑の野菜たちやハーブが時々降る雨にうたれ成長してます。


夏のはじまり
GWもたくさんの人に来てもらいたぎり荘もにぎわいました
ふとWEBをみたらこんな記事がありましたので紹介します。








2014年5月4日日曜日

オードブル完成!

ご注文を受けた方から、人生のお勉強に挑戦してみたら・・・と

注文を受け、人生で初のオードブルを作りました!


 

メニュー内容の検討、買い出し、下ごしらえ、調理。


この注文を受けてから、毎日楽しくて。

精一杯、愛情込めて作りました!!



感謝